平山病・頚椎ヘルニアの後遺症で障害基礎年金1級が決定 | かなみ社会保険労務士事務所

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平山病・頚椎ヘルニアの後遺症の経過

平山病と診断されるまで

高校2年生の時、右手の人差し指が曲がらなくなり、握力が低下しているように感じた。

当時はバンド活動をしており、ギターの担当だったが、弦がうまく指で押さえられず、指に力が入らないようになり、学園祭で演奏することができなかった。

右手に力がはいらず、うまく指が曲がらない状態が続き、全身にビリビリとした痺れを感じることもあった。

A県立病院を受診し、レントゲン検査などをしたが異常はなく、医師から「ギターの練習で指を使い過ぎたからではないか」と言われた。

 

高校3年生になってもギターを弾けなかったため、ドラムを担当し、ドラムのスティックをテープで右手に固定して演奏した。

19歳の頃から右手に加えて左手も筋力が低下しているように感じるようになった。

高校を卒業後はバンド活動はやめており、ギターを弾いていないにも関わらず、症状がよくならないのでおかしいと思っていた。

20歳の頃にB病院を受診。約1か月近くの検査入院で「平山病」であるとわかった。
21歳時に身体障害者手帳3級が交付された。

未受診期間が続く

医師から「治療方法はなく、症状はある程度進行すれば収まる」と言われていため、病院を受診することはなくなっていた。
両手の指先だけがどんどん痩せていき、手指が曲げにくい状態は続いていた。

33歳の頃、頸部から左肩にかけての痛みが出現し、左手の筋力が特に低下しているように感じるようになった。
手指で物が持てなくなるほど症状が悪化していた。

頚椎椎間板ヘルニアで手術を行う

33歳の頃にC総合医療センターを受診

MRI検査で頚椎椎間板ヘルニアであると診断され、前方徐圧固定術(プレート使用)手術を行った。

術後の経過確認のために2年間は定期的に通院していたが、その後は病院を受診することがなくなった。

両手指の症状が悪化 歩行にも支障がでる

33歳の頃から両手の指が曲げられない状態は続いており、両手で挟み込むようにして物を持つようになっていた。

両手の筋力が低下し、手指全体が細くなっていた。

40歳の頃には歩行の際に足がうまく出せないように感じるようになった。

頚髄萎縮 平山病 ・頚椎ヘルニアの後遺症と診断される

55歳の時にD総合病院を受診。

症状が進行しているのは、平山病、頚椎ヘルニアの後遺症であると言われた。

身体障害者手帳は、両全手指機能全廃で2級として更新された。

病歴の整理

年齢 受診した医療機関 疾病名
17歳(高校2年生) A県立病院
20歳〜21歳 B病院 平山病

身体障害者手帳3級が交付

21歳〜33歳 未受診期間
33歳 C総合医療センター 頚椎椎間板ヘルニア
34歳〜55歳 未受診期間
55歳 D総合病院 平山病・頚椎ヘルニア後遺症

身体障害者手帳2級(両全手指機能全廃)

平山病の初診日は約40年前 受診状況等証明書を取得できず

障害年金の制度では「初診日」を基準にして、請求する制度(国民年金・厚生年金)が確定し、初診日の前日までの保険料納付状況を確認されるため、「初診日」は非常に重要になる。

20歳前に初診日がある障害基礎年金の場合は、保険料納付要件は必要ないものの、所得制限や国内居住制限などがあるため、初診日が20歳前か20歳後のどちらになっているか特定する必要がある。

 

平山病の初診日は高校2年生の17歳の頃、確定診断を受けたのは20歳の時である。

初診日を特定する書類が「受診状況等証明書」であり、初診の医療機関に作成を依頼することになる。

しかし、請求人の初診日は約40年近く前のことであり、A県立病院の診療録は廃棄されていた。

次にB病院の診療録が保管されているか確認したが、A県立病院と同じように診療録は廃棄されていた。

 

平山病の経過観察は21歳で終了しており、請求時まで未受診期間が続いたことから、平山病の「受診状況等証明書」は取得することはできなかった。

第三者証明で障害年金の申請(請求)を考える

平山病「受診状況等証明書」が取得できなかったため、バンド仲間に発病・初診時期を証明(第三者証明)してもらうことを考えた。

バンド仲間のうち1人と連絡を取ることができ、高校時代の請求人のことを証言してもらうことになった。

この方は、学園祭で演奏できなかったことや、高校3年生の時にドラムのステックをテープで両手に巻き付けて演奏していたことが衝撃だったことから、当時のことを鮮明に覚えていたということだった。

第三者証明は原則として複数人の証明が必要とされているが、記載してもらった第三者証明にのみで初診日が認められる可能性があると考え、障害年金の申請(請求)を行うことになった。

>>> 障害年金 初診日の証明ができないとき

D総合病院で診断書を取得

55歳時に身体障害者手帳が2級(両全手指機能全廃)として更新されていたことから、事前に身体障害者手帳の診断書を市役所から取得していた。

身体障害者手帳の傷病名は「両上肢の弛緩性麻痺」とされ、原因となった疾病・外傷名は「平山病」となっていたため、障害年金用の診断書も同様の傷病名であると考えていた。

 

障害年金用の診断書を取得したところ、傷病名は「頚髄萎縮:平山病、頚椎ヘルニアの後遺症」と記載されていた。

頚椎ヘルニアの受診状況等証明書を取得 診療録の開示請求

「平山病」で障害年金の申請(請求)を考えていたが、「頚椎ヘルニアの後遺症」が診断書の傷病名に記載されていたため、頚椎椎間板ヘルニアで入院したC総合医療センターで「受診状況等証明書」の作成依頼を行なった。

「受診状況等証明書」の発病から初診までの経過欄には、「33歳時に両上肢の筋力低下が出現したため、当院を受診」との記載があった。

「受診状況等証明書」を取得できたということは、C総合医療センターに診療録が保管されているということだ。

 

「受診状況等証明書」の依頼と同時に、C総合医療センターの診療録の開示請求を行なった。

診療録の開示請求の目的は「平山病」の情報が記載されていないか確認するためだった。

 

数週間後に診療録を取得することができ、内容を確認すると「17ya 平山病発症 右上位優位の筋力低下」との記載があった。

障害基礎年金の申請(請求)

診療録によって「平山病」の初診時期を確定できたことから、「C総合医療センターの診療録」と「バンド仲間の第三者証明」を初診日の参考資料として障害基礎年金を申請(請求)することができた。

障害の程度は、頸椎の障害のために左下肢が痙性歩行障害となっており、両手指は少し動く(曲げる)ことができるものの、書字の際は両手でペンを挟んで所持しなければならない状態で、実用的な動作はまったくできなかった。

請求人は、上肢と下肢に障害があるが、上肢と下肢の障害の状態が相違する場合は、障害の重い方で認定するようになっている。

請求人は上肢の障害の方が重く、「両上肢のすべての指の機能に著しい障害を有するもの」 これは障害基礎年金1級として認定されると考えていた。

障害基礎年金2級として決定される

障害年金の申請(請求)から約3ヶ月後に障害基礎年金2級の年金証書が送付された。

上肢の障害ではなく、肢体(上肢および下肢)の障害として認定されていることがわかった。

審査請求で棄却 再審査請求で処分が変更される

上肢の障害で認定されるべきものが、肢体の障害で認定されたことから、不服申し立て(審査請求)を行うことになった。

請求人の障害は上肢の障害で認定するように求めたものの、審査請求では棄却。棄却決定を受け取り後すぐに再審査請求を行なった。

約6ヶ月後、公開審理の案内が届き、公開審理に出席する準備をしていたところ、日本年金機構が処分を変更したという連絡が社会保険審査会から入った。

日本年金機構が審査の誤りを認め、障害基礎年金1級として処分変更された。

 

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